第2回 先人たちが残した東京下水道の形跡

~歴史的・文化的資産の紹介~

赤煉瓦(煉瓦タイル貼り)で親しまれている喞筒室ポンプしつを創ったのはだれ?!

喞筒室のある東京都下水道局三河島水再生センターは、最新の下水処理施設と100年ほど前に建設された日本で最初の汚水処分場の一部(重要文化財)が、同じ時間を共有するほかに類を見ない施設となっています。

汚水処分揚の設計は、日本橋の設計者としても有名な土木技師の米元普一によるものです。米元が西洋から持ち帰った最新の技術が生かされています。大正10年しゅん工の喞筒室もまた、西洋の技術であった鉄筋コンクリート、鉄骨が使用され外壁には煉瓦タイルと天然石が使われています。(ただし、人の目に触れない部分には石ではなく擬石塗りを採用しています。)

当時最先端の設備機器を格納するための建築物ですが、機能美にとどまらずシンプルな意匠の美しさ、使う人の快適性、防災性などが考えられた作品となっています。いったい誰が創ったのでしょうか。

アーカイブス資料である喞筒室の青焼き設計図面、その決裁欄にある土居の印影と当時の東京市職員録、大正時代の「建築雑誌」から紐解いて、明治43年(1910)東京帝国大学工科大学建築学科卒後、下水改良工事の建築を任された東京市嘱託技師の土居松市が設計者であることが分かりました。東京高等工業学校(現東京工業大学)の教授でもあった土居は、コンクリートや建物災害の研究者としても知られています。設計者としての土居は、41歳の若さで亡くなっていることから作品数も少なく、筆者の知る限り現存する建物は、喞筒室と大正15年(1926)建築の大日本印刷社屋を復原した「市谷の杜 本と活字館」になります。この貴重な喞筒室は、経年劣化がかなり進んでいます。文化財の保存と継承を確実に行うため、適切な周期による修理・修復が必要になります。ここで修理・修復にあたり「復元と復原」が出てきます。どちらも「ふくげん」と読み一般的には同じ意味に使われますが、文化財の世界では別な概念になります。「復元」は、過去に存在したが現在はない建造物を根拠に基づき再現すること。「復原」は、現に存在している建造物を、改造の痕跡などの根拠に基づきある時代の姿に戻すことになります。喞筒室は現存し、古写真、古図面、改造の痕跡など確かな根拠があるので「復原」になります。土居の設計コンセプトを忘れず修理・修復したいものです。

大正時代後期、水田地帯に突如現れた白い石帯と赤レンガ色に象徴される喞筒室は、関東大震災と太平洋戦争の被害を免れ、現在まで時を経てもなお凛として立ち続ける姿から地域の人々に親しまれてきた建物と言えるでしよう。先人たちが築いてきた歴史、文化を大切にして確実に後世に引き継いでいきたいと考えます。

写真:歴史主義からの分離 セセッション様式の喞筒室

歴史主義からの分離 セセッション様式の喞筒室

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