第4回 先人たちが残した東京下水道の形跡
重要文化財(建造物)旧三河島汚水処分場喞筒場施設のシステム
重要文化財(建造物)旧三河島汚水処分場喞筒場施設は、歴史的、技術的にも極めて高い文化的価値を有します。今回は特に技術的価値のあるシステムについて触れてみたいと思います。
喞筒場施設は、下水の流入から阻水扉室、沈砂池、濾格室上屋、量水器室、喞筒室、そしてゴミや土砂類を取り除いた下水を処理施設へ送水、という一連のシステムが、地下構造物とともに、ほぼ創建当初のまま残されています。大正11年から77年間稼働していた間には、設備の技術革新による更新や構造物の改造の変化がありましたが、先人たちの功績を大切にした下水道局職員の熱い思いが叶い、100年を過ぎた今でも創建当初の姿を残すことができました。ただ、残念ながら一部のシステムが姿を消すことになりました。それは下水から取り除いたゴミや土砂類を、すり鉢状の敷地から、高低差3.6m、傾斜長さ約30mの斜面を登り地平に運ぶシステムでした。搬出機械設備の革新により昭和30年代に撤去され、その跡は覆土されました。では、そのシステムとはどのようなものだったのでしようか。
読者の皆さん、琵琶湖疎水の蹴上インクラインをご存じでしようか。そう、船を運ぶ傾斜鉄道のことです。斜面にレールを敷いて卷き上げウィンチでロープを引っ張って台車を走らせる装置のことです。喞筒場施設でも規模は小さいですが、このインクライン(文化財指定の呼び方は土運車引揚装置)で、ゴミや土砂類を積んだトロッコ(横転式土運車)を地平に運んでいました。現在、見学者にインクラインの案内をする際は、補完する古写真とインクライン概略図を用いて説明しています。前々回、「復元」と「復原」の違いについてご紹介しましたが、もし、インクラインを復元することができれば、実物を目の前で見ることができ、きっとそのスケール感に圧倒され、喞筒場施設のシステムを、より理解しやすくなると考えます。
実は、重要文化財として指定される前に、インクラインの遺構を確認するため、東京都教育庁の埋蔵文化財担当者の指示や指導、文化財関係者の技術的協力を得ながら、この思いを共有する下水道局職員の直営による発掘調査を学術的に行いました。この時、始点と終点のプラットフオーム、レールの痕跡などが発見されました。レールは、後日の修理工事中に偶然発見されることになります。この調査による工作物の痕跡の知見と下水道局が保有するインクラインの当初設計図、建設工事内容が書かれた大正時代の事業年報に加え、インクライン用の機械類を格納していた土運車引揚装置(インクライン)用電動機室が現存するなど、復元に必要な資料が整っています。これらにより将来インクラインが復元されるならば、喞筒場施設の本質的価値を構成する要素として、非常に有意義なものになると考えられます。
いずれにしても、先人たちの汗と知恵の功績である旧三河島汚水処分場喞筒場施設、その文化的価値、技術的価値を見極め、文化財保護法のもと保存・活用を行い、後世にできる限り健全な状態で引き継いでいくことが、文化財に携わる下水道アーカイブス関係者の責務であると考えます。
最後に、6月号から連載してきました本コラムは今回で最終回となります。
短い間でしたが、これまでご愛読いただきましてありがとうございました。