第3回 続下水道れきし旅
「インダス文明 モヘンジョ・ダロの下水道」
19世紀半ば、インドを植民地としていた英国は紀元前に文明の花が咲いたハラッパー付近で鉄道建設工事を行っていました。レールの基礎になるバラスに近くの廃墟の瓦礫を用いました。この時、インド考古学者A.カニンガムは瓦礫の中から「印章」や「剥片士器類」を見つけ、これを大英博物館に持ち帰り保存しました。それから半世紀後、これらはメソポタミアで発見されたものと極めて類似していることが判明し、急遽インダス地方で発掘調査が始まりました。インダス川畔のモヘンジョ・ダロは1922年から約5年間にわたり発掘調査が実施され、その結果は驚くべきものでした。
整然とした都市計画の基に建設された都市の遺跡が出現したのです。市街地は規格化された日干し煉瓦を積んで区画され、家屋や道路が整然と配置されていたのです。家屋には浴室、水流便所(水を流す水路の上に腰掛便器を設置した)を備えた家もあり、これらの排水はレンガ又は陶製の管で道路に設置された下水溝に接続されていました。各家から排出された汚水は小路の下水溝から大路の下水溝に流れ、大路の下水溝には汚水だまりまで設けられています。汚水だまりとは、下水溝の幅を広げて水流を遅くし、下水中の固形物を沈殿させる役割があります。そして定期的に沈殿した固形物を除去し、上澄水だけがさらに下流に流れ、やがて下水溝の末端から地中に浸透させていたのです。紀元前3000~1500年も前にこのような都市が造られていたとは全く驚くべきことです。
市街地の外れには城塞と呼ばれる区画がありました。ここには沐浴場と穀物倉が併設されており、ここで祭祀が行われたようです。沐浴場はレンガで造られ、目地は石膏で固め、さらに浴場の内側はアスファルトでコーティングされて水漏れしないように工夫されています。モヘンジョ・ダロの人たちはかなり高度な水準の技術を有していたことが判ります。
ところが、これほど高度な技術を駆使して造られた都市がある時期に放棄されたのです。その原因は洪水説、地下水位の上昇による塩害説、砂漠気候に存在しているための渇水説等様々な理由が考えられていますが、結局は作物が採れなくなったことが主因と推定されております。
水には物心両面で「穢れ」を洗い流す作用があると信じられてきました。沐浴は人間の心からくる「穢れ」を清水で洗い流します。本シリーズの第1回で、世界最初の下水道を宗教施設と定義づけたのは、この沐浴した後の穢れた水を排除するためだったからです。一方、人々が共同で生活するようになると、生活から必然的に生じる「汚れ」も問題になってきます。モヘンジョ・ダロの下水道は「穢れ」に加えて「汚れ」をも排除する機能も有しています。これはまさに現代の下水道が有する機能です。したがって、モヘンジョ・ダロの下水道は世界最初の「公共下水道」だとも言えるでしよう。(月水土楽人)
出典:朝日新聞社「週刊朝日百科日本の歴史40」
原始・古代⑦古代文明の成立、
P1-202 (1987.1)
出典:C ・ Webster「J.W,P,C,F」(1962.2)
月水土楽人(げっすいどらくじん)
下水道関連の業務に携わる傍ら、ライフワークとして日本及び世界の下水道史について調査を続けている。
今では「下水道博士」と言われるほどに。