第3回 先人たちが残した東京下水道の形跡
昭和期に残した貴重な歴史的・文化的な資産の紹介
1 世界最先端の処理技術の研究を重ねた柴田三郎
三河島汚水処分場では、大正15年5月~昭和6年4月に促進汚泥法の実験研究を行っておりました。
昭和9年に報告された促進汚泥法下水処理作業結果の報告書があります。
この報告書は柴田三郎が促進汚泥法による水処理作業の実績を概記したものです。(写真-1 出典:下水道局)
実験結果では、沈殿時間の短縮、活性汚泥の合理的測定及び余剰汚泥の合理的排除を実行したことで、好成績を残しております。
また、電力量の比較ではPaddle式(1.0)、Simplex式(0.9)、散気式(2.2)の結果が実証されました。このような実験結果等に基づいて昭和11年に三河島汚水処分場では攪袢式(パドル式)曝気槽が導入され、昭和12年に芝浦汚水処分場がシンプレックス式曝気槽の導入、そして昭和34年に砂町汚水処分場で散気式が採用されました。
柴田三郎のこうした活性汚泥の研究と実験を重ねて得られたデータが処理方式の選定に反映されています。また活性汚泥に関わる数々の論文や研究資料を残しています。
2 墨壺(すみつぼ)について
三河島処理場の木工所で使用された墨壺の5挺(ちよう)の紹介です。材質は木製の墨壺で、壺の部分には墨を含んだ綿が入っております。糸車に巻き取られている糸をぴんと張り、糸の先についたピン(カルコ)を木材に刺し、この状態で糸をはじくと、木材に正確に直線を引くことができます。
また、墨壺とともに使われるへラ状の墨指(すみさし)があります。
墨壺は儀式用に用いられたと思われるものの中には、装飾性に富んだ鶴・亀等があり非常に手の込んだ物もあります。(写真-2 出典:下水道局)
3 設備関係の耐圧試験用電圧確認装置(針状火花間隙)について
耐圧試験用電圧確認装置(針状火花間隙)です。(写真-3 出典:下水道局)この装置は空間で放電させ電圧を測定する装置です。針2本の間の距離で火花が生じなければ耐圧が認められる装置です。装置は重く移動には苦労したことと思います。
いずれも、三河島水再生センター旧事務棟の展示室に展示しております。
展示室では、大正・昭和に残した貴重な鉄蓋・設備機器等を多数展示しておりますので、施設見学の際には是非お立ち寄りください。
4 東京大空襲から砂町汚水処分場を守った職員達
次に東京大空襲において砂町汚水処分場で対応した報告書を紹介します。
昭和20年3月9日午後10時30頃に警戒警報発令とともに職員が重要書類を地下に埋設しています。間もなくB29の偵察機二、三機が旋回偵察し退去も束の間伊豆東方から本隊が来襲し爆弾、焼夷弾が投下されました。海軍省貯木場から降り注く火の粉を全員で消火に努めています。当時の緊迫した様子が映像として伝わってきます。
砂町汚水処分場維持係担当員の理工技手、宿直員、工事係の宿直者、そして近くに住む非番の職員も駆け付け必死に消火を行っています。
しかし消火の甲斐もなく飛び火によって職員宿舎が全焼しています。
一方、砂町周辺に在住している職員の住宅も数多くが全焼し、不明者も多数発生しています。この報告書は3月15日に砂町汚水処分揚長に提出されました。(写真-4 出典:下水道局)
(写真-1 出典:下水道局)
(写真-2 出典:下水道局)
(写真-3 出典:下水道局)
(写真-4出典:下水道局)