第4回 続下水道れきし旅

下水道になった都市河川

昭和20年代、「キャサリン台風」を初め「アイオン台風」、「キティ台風」など相次ぐ台風が焼け野原から復興中の東京を痛めつけました。さらに30年代に入って33年9月には戦後最大の被害をもたらした超大型台風22号が東京を襲いました。最大暴風範囲500㎢というこの台風は9月27日午前1時東京を通過し、関東地方を縦断したのです。風による被害は少なかったものの、降雨量はものすごく、1日で東京地方の年平均雨量の約1/4に相当する豪雨をもたらしたのです。この台風は伊豆半島地域に最も大きな被害を与えたことから「狩野川台風」と名付けられました。従来、東京において台風による災害は下町地区で発生していました。ところが、狩野川台風は都内の中小河川である石神井川、桃園川、吞川、蛇崩川等を氾濫させ、中野、新宿、渋谷、目黒区といった山の手地区に初めて水害をもたらしました。浸水面積は区部総面積の1/3、浸水家屋48万戸、罹災者200万人に達する大惨事となったのです。

従来発生しなかった山の手にまでこれほどの災害をもたらせた要因は、無秩序な都市化と考えられました。朝鮮戦争による特需により経済復興が始まると東京への人口増が加速し、地価の安い河川沿いの地域が急速に宅地化するなど急激な市街地の形態変化が起きていたためでした。無秩序な市街地化の増加は中小河川の水源を枯渇させ、晴天時には河川本来の水が流れないという現象を引き起こしてもいました。源頭水源をもたなくなった河川を流れるのは家庭排水や工場排水でした。さらにこれらの河川にはゴミが投棄され、事実上河川は下水道化してしまったのです。

都は早急に対応を迫られました。そこで、都は東京都市計画審議会の中に「河川・下水道調査特別委員会」を設置し、その対応を諮問しました。委員会は、河川と下水道の流出量の考え方の相違を調整し、以下のような答申を行いました。主たる内容は

①河川を下水道幹線化する際には、狩野川台風(雨量75mm/時間)による降雨でも氾濫しない流加能力を備えること
②下水道幹線(暗渠)として利用する河川は以下の全部または一部とする。
吞川、九品仏川、立会川、北沢川、烏山川、蛇崩川、目黒川、渋谷川、古川、桃園川、長島川、前堰川、小松川、酒井川東支川、田柄川
③覆蓋された上部の利用については、管理上支障のない限度において公共的な利用を図ること。

この答申を受け、下水道局は「東京特別都市計画下水道」を変更しました。即ち、計画降雨量を時間最大40mm/hから50mm/hに、従来は一律に1人1日最大汚水量320ℓでしたが、地域差により使用量が異なることを考慮して行政区ごとに定めることとし、区部平均で448ℓ/日とアップさせました。そうすると、既に普及している下水道施設の容量では不足をきたします。そこで、未普及地区に下水道施設を新設する場合は「建設事業」、すでに普及している地区の場合は「整備拡充事業」と2本立てで下水道を整備することにしたのです。

一方、建設局河川部も国に働きかけ、都市河川を都市計画事業で行えるように措置し、以後の事業展開を行いやすくするなど、様々に努力しました。このように下水道事業と河川事業は相互調整しながら事業を進めることができるようになりました。また、34年5月に東京オリンピック招致が決まると、下水道事業予算は大幅に増加し、以後下水道の普及が急ピッチで進展することになったのです。

(月水土楽人)

画像:和服姿のW•K ・バルトン
狩野川台風により決壊した石神井川
(出典:「東京都建設局」)
 
画像:浅草凌雲閣
中小河川の暗渠化・施工前
 
画像:青山霊園のバルトン墓地
中小河川の暗渠化・施工後

月水土楽人(げっすいどらくじん)

下水道関連の業務に携わる傍ら、ライフワークとして日本及び世界の下水道史について調査を続けている。
今では「下水道博士」と言われるほどに。

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