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下水道の歴史

1.世界の下水道

モヘンジョ・ダロ
(古代インド)の下水道

モヘンジョ・ダロの下水道を見ている男の子と女の子

世界で一番古い下水道

今から4千年ほどむかし、古代インドの都市でつくられた下水道は、レンガでできていて家庭で使った水を集めて、川に流す役割をしていました。

近代の下水道

産業革命以後、人々が都市に集中すると、尿や大便の処理に困り、道路や庭に投げ捨てたりしたために町はよごれ、19世紀には世界各地でコレラなどの病気が流行して多くの人々が死にました。
そこで、下水道が必要となり、1856年にイギリスの首都ロンドンで下水道工事が始まり、これにならってヨーロッパ各地やアメリカでも下水道がつくられました。

現代の下水道

その後、イギリスで微生物を利用した下水の処理方法が開発され、よごれた水をきれいにして流すことができるようになりました。

2.日本の下水道

昔の日本

日本では、昔から農業で、し尿を肥料として使っていました。

近代の下水道

明治時代になり、人々が東京などの都市に集まるようになって、大雨などで家が水につかったり、流れずたまったままの汚水が原因でコレラなどの伝染病がはやりました。そこで、明治17年(1884年)神田下水がつくられました。その後、日本最初の水再生センターとして大正11年(1922年)に三河島水再生センターができました。

し尿を肥料にしていた農業を見学している男の子と女の子

し尿を肥料にしていた農業

現代の下水道

第二次世界大戦後、産業が発達し、人口が都市に集中するようになって下水道が本格的につくられるようになりました。工場もふえて、下水道は、川や海のよごれをふせぐという役割も持つようになりました。

赤レンガの主ポンプ室の外観写真

最近まで使われていた
赤レンガの主ポンプ室
(三河島水再生センター)

レンガでつくられた神田下水の写真

レンガでつくられた
神田下水
(今も使われています。)

東京の下水道の歴史

1877(明治10年)
  • 東京でコレラが大流行
1884(明治17年)
  • 東京の近代下水道、神田下水の建設が始まる
1922(大正11年)
  • 日本で初めての近代的な水再生センター「三河島水再生センター」の運転が始まる
1923(大正12年)
  • 関東大震災が起きる
1944(昭和19年)
  • 第二次世界大戦の影響で下水道工事が中断される
1961(昭和36年)
  • 隅田川のよごれがひどくなり花火大会が中止される(23区の下水道普及率22パーセント)
1964(昭和39年)
  • 日本で初めて水再生センターの上部に公園ができる(落合水再生センター)
  • 東京オリンピックが開かれる
1970(昭和45年)
  • 公害が国会で問題になる
1978(昭和53年)
  • 下水道が普及し隅田川がきれいになり花火大会が再開される(23区の下水道普及率70パーセント)
1984(昭和59年)
  • 野火止用水が復活する(多摩川上流水再生センターの高度処理水)
  • 新宿副都心水リサイクルセンターの運転が始まる
1986(昭和61年)
  • 日本で初めて下水道管内に設置した光ファイバーの運用が始まる(梅田ポンプ所)
1995(平成7年)
  • 23区の下水道普及率が、ほぼ100パーセントとなる(3月)
  • 渋谷川、古川、目黒川、呑川の清流が復活。落合水再生センターの高度処理水を利用

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