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江戸下水道散歩 弐拾壱

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「四谷」の下水は芝の海へ

絵は江戸の名所案内書とも言える『江戸名所図会』の「鮫が橋」の挿絵です。「鮫が橋」は「鮫河橋」と書いて「さめがはし」と読みます。「鮫河」という小さな川に架かっていた橋の名でもあり、「鮫河」が流れていた町々の町名の上にも付けられていました。いまも「四谷」と「神宮外苑」を結ぶ道路の「迎賓館」脇の坂道が「鮫河橋坂」、坂を降り切った所にある「東宮御所」の門が「鮫河橋門」と、「鮫河橋」の名が残っています。

江戸地誌の『御府内備考』によりますと、「鮫河」は幅六尺(約1.8メートル)ほどで、町によって「下水堀」とか、「大下水」、「鮫河橋大下水」などと呼ばれていたようです。鮫河橋谷町・鮫河橋北町・鮫河橋表町・鮫河橋仲町(現・新宿区若葉二・三丁目・南元町)から流れ出た下水は、「鮫が橋」の先で紀伊徳川家中屋敷内(現・東宮御所)を通り抜け、赤坂へ出ますと「赤坂大下水」となって溜池の縁を流れ、芝の愛宕下で「桜川」に合流していました。この「桜川」につきましては前回(「ニュース東京の下水道」No234)に、『四谷・赤坂辺りの下水が芝の海へ出ていたことになります』と申し上げました。

いま、「鮫河」の跡は公共下水道の「四谷幹線」になっています。「四谷幹線」は赤坂で「溜池幹線」につながり、虎ノ門で「高段幹線」に合流し、「芝浦水再生センター」につながります。下水はここで処理されてから、芝浦の運河に放流されます。ですから、いまも、「四谷」の下水は芝の海へ流れ出ていることになります。

絵には「鮫河」の中に何本もの杭が並んで打ち込まれています。よく見ますと家の前にある小さな「下水」が「鮫河」に合流する所にも杭が打たれています。これは下水と一緒に流れて来るごみを取り除くためのものでしょう。

この絵の「鮫が橋」手前の右側辺りが、いまは「みなみもと町公園」になっています。この公園の下には「雨水調整池」があります。これは大雨の時、下水管から雨が溢れ出そうになったとき、一時、ここへ雨を貯めて置いて、雨が止んでから下水管へ流し出すためのものです。いま「みなみもと町公園」の脇から、老朽化した「四谷幹線(昭和4年=1929年敷設)」の能力を補完する「南元町幹線」の建設工事が行われています。

『江戸名所図会』より「鮫が橋」

【絵図説明】
河の中にはごみ除けの杭が打ち込まれている。
(『江戸名所図会』より「鮫が橋」)

「鮫河橋」が架かっていた辺り

「鮫河橋」が架かっていた辺り。正面の道路が「鮫河」の跡。
右側が「南元町幹線」の工事現場(みなみもと町公園)。

栗田彰(くりたあきら)

1937年 東京生まれ
1998年 下水道局を定年退職

著書
『江戸の下水道』青蛙房 『江戸の川あるき』青蛙房
『江戸下水の町触集』日本下水文化研究会 『落語地誌』青蛙房

表紙

特集 浸水対策強化月間

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